2016/02/09
とり信
経営者が集う昼食交流会 2月で100回目 神戸さまざまな業種の経営者らが昼食をとりながら交流する「パワーランチイン神戸」の月例会合が、今月で100回を迎える。2007年秋に初回を開いてから参加者は少しずつ増え、今では毎回100人を超える規模に広がった。主宰者で生命保険代理店に勤める衣笠信さん(63)= (続きを読む)
なぜ、日本共産党は天皇制や自衛隊について、国民に信を問えというのか。バカなの...
なぜ、日本共産党は天皇制や自衛隊について、国民に信を問えというのか。バカなのか、独裁を目論んでいるのか。 戦後初の国政選挙で、憲法第一条《天皇は日本の象徴》が国民に了承されていた。 それなのに、なぜ、殊更に民意を問う必要があるのか。こんなことを考えるのは愚人と言うほかない。 自衛隊(警察予備隊)創設後の国政選挙でも与党は勝った。民意を得たのである。 なぜ、屋上屋を重ねる必要があるのか。信任投票なんぞ、一度で十分のはずだ。 それなのに、日本共産党が≪信任の選挙≫をせよというのは、自分らの気にいった意見だけを民意としたいという独裁の考えである。 日本共産党の言う「信を問え」というのは、オノレに反対する意見を封殺し単圧する北朝鮮の手法である。 北朝鮮の選挙は100%の投票率、対立候補は存在せず、100%の信任という。 日本共産党の信奉するレーニンの選挙は独裁そのものである。 1918年1月、レーニンが憲法制定会議を解散させ、ボリシェヴィキ一党独裁体制を樹立した。 第2次ロシア革命の過程で生まれた革命党派による一党独裁体制。 レーニンは反革命勢力が残存する段階においては、革命派が労働者大衆(プロレタリア)の階級的利益を守るために、独裁体制が必要であると主張し、1918年1月にボリシェヴィキが権力を握ると、ブルジョワ的議会制民主主義を否定し、ソヴィエトを基礎とした国家機構をつくりあげた。 その後共産党(ボリシェヴィキが改称)が国家機構の上位に立って指導的立場をとり、他の政党の存在を認めない一党独裁体制をつくりあげた。 プロレタリアの階級保護のための独裁体制であるので「プロレタリア独裁」とも言われる。 議会政治の否定とプロレタリア独裁 革命前から予定されていた憲法制定議会が、ロシア初めての普通選挙によって議員が選出され、1918年の1月に開催された。 この段階ではソヴィエトに参加していた様々な政党が候補者を立てていたが、当選者は社会革命党(エスエル)が第一党であり、レーニン率いるボリシェヴィキは第2党にとどまった。 憲法制定議会でソヴィエトが提出した労働者人民と被抑圧人民の権利宣言は否決された。 ボリシェヴィキは多数を占めることが出来ず、社会革命党(エスエル)が反対したためであった。 ボリシェヴィキの指導者レーニンはこの事態をソヴィエト政権の危機ととらえ、会議休憩中に全ロシア=ソヴィエト会議の名で議場を封鎖、解散させた。 レーニンは、ソヴィエトをブルジョア民主主義の議会制度より高度な政治形態であると考えていたが、ここで憲法制定議会が解散させられてボリシェヴィキ一党独裁政権が成立し、これ以後、ソ連解体までロシアでは選挙と議会制度は封印されることとなる。(続きを読む)
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