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零戦

復元ゼロ戦、日本の空へ 鹿児島海自基地で試験飛行
太平洋戦争中、日本海軍の主力戦闘機だった零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を復元した機体が27日、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)で試験飛行した。当時の時代背景を振り返り、日本の未来を考えてもらおうと東京の会社が企画、基地の協力を得た。機体は日本人 (続きを読む)

「心神」国産初のステルス戦闘機 2月に初飛行 1月28日に報道陣に公開
主契約企業の三菱重工業は、戦前に名航で零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を生んだ。それが今、名航の小牧南工場で、アビオニクス(航空機搭載の電子機器)や電装についてのデータを取るなどして、様々な試験を重ねてきた。心神はゼロ戦と同様、名航で誕生するわけであり、その (続きを読む)


零戦の各型式の性能についてお尋ねします。 私の祖父は戦時中、海軍航空隊の搭乗員...
零戦の各型式の性能についてお尋ねします。 私の祖父は戦時中、海軍航空隊の搭乗員としてラバウル、フィリピン、硫黄島などの戦地を転々としていたようです。 私は中学生くらいの頃から祖父に よく戦争の話を聞かされていました。父には滅多に戦争の事を語らなかったようですが八十歳を超えた頃から後世に伝えようと考えたのか良く話すようになりました。 中でも空中戦の体験については記憶によく残っているようで、零戦の型式を特徴だけで見分けたりと、かなり鮮明に覚えていました。 その中で気になった点があり詳しい方にお聞きしたいのですが、祖父はよく零戦を評価する際に「一号零戦は欠陥だらけで高度4千を超えると状況によっては横旋回でF4Fにすら追い込まれかねない、二号零戦はF6Fやシコルスキー(F4Uコルセアの事だそうです)を相手にしても互角に戦えた」と言っています。 同じ零戦でもそれほどに違うものなのかと思い自分なりにも調べてみたのですが良く目にする資料には「一号零戦(二一型零戦)に比べ二号零戦(三二型や五二型)は翼端を短くしたことにより旋回性能が低下しさらに大型の栄二一型発動機の搭載によりエンジン後方の燃料タンクが押し込まれ縮小された故に零戦最大の取り柄でもある広大な航続距離の低下を引き起こした」などと記載されており、ドキュメンタリー番組などでは三二型零戦を欠陥機とまで称していました。 これらを調べた上で祖父に再度確認のため尋ねたのですが祖父からは「翼端を切り落としたことで旋回性能の低下は確かにあると言えばあったが空戦時に支障をきたすほどの低下ではなくむしろ横転性能が向上し戦いやすくなった。4千m以上の高度での運動性能は全てにおいて一号零戦を上回っていたしフラップを上手く使えば低空でも一号零戦と同等の横旋回ができた。一号零戦では敵機に後方を取られた時に両腕で操縦桿を倒し込みロールで射撃をかわすのが一杯一杯だったが二号零戦では片手でも容易にできた。航続距離の問題は自分がラバウルに行った時には既に邀撃が主になっていて不自由しなかった。特に五二型は操縦桿もかなり軽くなり急降下で700km近く出しても異常振動を起こさないから上から撃つとすぐ急降下で逃げる米軍機を多少ながら追撃できた。だがガダルカナルへの長距離攻撃に参加した方たちは確かに二号零戦を嫌っていた。だがほとんどの搭乗員は邀撃戦では二号零戦の方が戦えると評していたし戦闘機の補充の際に二号零戦が少ないと皆、気落ちしていた」と回答をもらいました。やはりこれが真実なのでしょうか?一部の資料には低空での巴戦で敵を追い詰め撃墜する事こそが空中戦の美学であると、いつまでも代わり行く空中線の戦法に対応できない古参搭乗員達が戦後に一番華々しい戦果を上げていた頃に乗っていた一号零戦を過剰評価した結果、二号零戦が欠陥機とまで呼ばれるようになったとも見ました。 実際の所はどうだったのでしょうか? 一号零戦と二号零戦、戦況の悪化に伴い違った機体になりつつあったということでしょうか? 私個人の観点では一号零戦が完全に艦上戦闘機であるのに対し二号零戦はどちらかというと局地戦闘機に近いような気がしますし二号零戦の方が後から出てきた改良型なので性能も良いと思うのですがいかがでしょうか? 零戦について詳しくわかる方お答えして頂けると光栄です。(続きを読む)

結婚は私次第????
付き合って3年彼28私24で付き合い始めからお互い結婚を考えていました。 今まで彼は会社経営していましたが、安定のために来春から一般企業で働きます。 その決断はとても嬉しかったです...(続きを読む)



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