2017/04/19
断言
ロマーリオ、ネイマールこそが世界No.1と断言「メッシとロナウドもそのレベルにあるが……」そんなネイマールを、ブラジルサッカー界の英雄ロマーリオ氏は“ベストプレイヤー”と断言し、クリスティアーノ・ロナウドとリオネル・メッシの名前を引き合いに出すことも忘れなかった。『ESPN』が同氏のコメントを伝えている。 「今やネイマールは世界でもトップのプレイヤーになったと (続きを読む)
ジーコ氏、代表ではメッシよりネイマールが上と断言「バロンドールが彼でも驚かない」
... “白いペレ”とも謳われたブラジルサッカー界の英雄ジーコ氏が、現在の同国代表を牽引するネイマールに賛辞の言葉をおくっている。 古豪サントスにて輝かしい活躍を披露し、2013年にバルセロナへと旅立っていったネイマールは、ここ数年で飛躍的な成長を遂げると、ブラジル (続きを読む)
断言します。「男性保育士に着替えをさせるな」と言ってる人は「差別主義者」です...
断言します。「男性保育士に着替えをさせるな」と言ってる人は「差別主義者」です。 もうこれは間違いなくそうです。 「ちょっと気になる」と内心で思うのは「差別主義」ではありません。 しかし、気になるから排除してしまえ、元から絶ってしまえ、というのは疑いようのない差別主義です。 これは例えば、女性の政治家なんて頼りないなあと感じるから女性が政治家になるのを禁止しよう、ということと同じです。 特にテレビでそれを言った大沢あかねの罪は大きいと思います。 特定の性別や人種、階級の人を排除するのではなく、虐待が心配されるのであれば保育士は必ず2人セットで動くとか、何か別のことでまず手を打つべきです。 そもそも虐待とは性的なものと決まってないのですから、まっさきに男性を切れば済むと考えることは差別以外の何でしょうか? それに、男性器を持ってうまれてくる女性や、女性器を持ってうまれてくる男性、もっと複雑なセクシャリティーの持ち主だってこの国には(世界中あらゆる国に)いるんです。 男性、女性、という二つっきりの分類など幻想だとはっきり分かったこの時代に、何を言いだすんでしょう? それをやりだせば、保育士の採用の際に同性愛者でないかどうかの試験まで必要になってくる。 差別は別の差別を呼び寄せ、無限の差別スパイラルが起こります。 女児であっても、男性医師の診察を受けるでしょう? それは、多少恥ずかしくても、病気が身体を蝕むリスクに比べたら些細なことで、必要を承知の上でなら裸を見られたって(必要に応じたかたちで)触れられたって大きな心の傷にはなりっこない、と皆が知ってるからでしょう。 6才未満の児童に対して、必要最低限の着替えの手伝いを異性がおこなったからといって、それがトラウマになったりはしない。 みんなわかってるはずです。 子供が嫌がるからダメだとは言っても、子供が嫌がることをすべて取り除くことは出来ません。 結局、これはやっても大丈夫、問題ない、と最終的に判断するのは大人でしかありえない。 この場合、子供が嫌がるというのは、差別主義を正当化するための、もっともらしい言い訳でしかない。 本当に嫌がっているのは、親の方でしょう? もうひとつ気になるのは、差別をしておきながら、「これは区別です」と堂々と言い張る人がいることです。 しかし、区別と差別は、根っこはおなじものです。 身体の組成上の性質を区別し、本人の自由意思を無視する形で、一番これがあなたの「持って生まれた」性質に対して合理的であるから、と言って特定の社会的ポジションを強要したり、制限したりすれば、それが差別なのです。 身体の組成上、男性が性犯罪に走りやすいから、保育士としてふさわしくない、着替えの手伝いをしてはならない、という理屈は差別でないわけがありません。 私は、差別問題を語る時、「区別」という言葉が出る幕はないと思っています。 銭湯で男女別で分けていることすら、私に言わせれば差別だからです。 そのように分類されることで、誰も苦しんでいないではないか、という人がいるかもしれませんが、男性でも女性でもない、第三第四の性に属する人々を、そうした二分割は苦しめているんです。 こういった、差別だと認識もされていない差別は、だいたいにおいて「区別」と呼ばれています。 そして「区別」と呼ぶと同時に、苦しんでいる人もいる、ということを忘却しているのです。 要するに「区別」という言葉を隠れ蓑にして、後ろめたさを感じないまま差別が行なわれている。 ですが、銭湯の男女別すら差別だとするなら、地球上からありとあらゆる差別を取り除くことはそれこそ不可能でしょう。 自分自身も少なからず差別に加担していると自覚するものとして、それは認めざるを得ない。 しかし、だからこそ、可能な限りの差別は取り除けるように一人一人が心がけるべきだと考えます。 そう考えているかぎりにおいて、差別はしてるが、「差別主義者」ではないのです。 男性保育師の着替えを禁止する、という差別は、取り除くことが可能な差別です。 性的虐待が出来ないようになにか他の手を打てるはずだからです。 着替えの手伝いを禁止する、という思考は、それ以外の保育士の業務に付随する行為(たとえば遊んでいるときに体が触れる、であるとか)に対してもひろく疑いの目をむけることにつながり、結果的には男性が保育士になること自体を禁ずるのと同等の効果を期待するものです。 繰り返しますが、これは避けることが可能な種類の差別です。(続きを読む)
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