2016/12/28
島津義弘
島津義弘ゆかりの栗野磨欲踊り、71年ぶり復活へ 湧水湧水町木場の東中下場地区に約350年間伝承され、戦後途絶えていた島津義弘ゆかりの「栗野磨欲(とぎほし)踊り」が、71年ぶりに復活する。23日に同町である「島津義弘公大河ドラマ誘致委員会四地区合同大会」で披露。関係者は「義弘ゆかりの踊りを後世に残そう」と (続きを読む)
島津義弘の息子の島津忠恒(家久)の家系について。天下分け目の戦い、関ヶ原の戦...
島津義弘の息子の島津忠恒(家久)の家系について。天下分け目の戦い、関ヶ原の戦いで、徳川家康率いる10万東軍のど真ん中を敵中突破した島津義弘の息子の島津忠恒の11男が、伊集院久国を名乗っています。 現在の伊集院家は島津本宗家の血筋、という事に成ります。 という事は、伊集院家は3通り、存在していた事になります。 ①皇室一門、紀貫之の血筋の古伊集院本宗家 ②島津分家の戦国伊集院家 ③島津義弘の血筋の現在の伊集院家 です。 ①の紀貫之の血筋の古伊集院本宗家は、 古今和歌集、日本最古の日記の土佐日記、百人一首の紀貫之の血筋の古伊集院本宗家。 これは、古伊集院本宗家8代当主伊集院時清(紀四朗時清)が伊集院城(一宇治城)を築城。 伊集院城は関ヶ原を敵中突破した島津義弘、九州を制覇した島津義久ら島津四兄弟の居城で、 日本史上、最初に鉄砲を合戦使用した伊集院忠朗らの居城です。 日本最初にフランシスコ・ザビエルがキリスト教を行った場所でもあります。 島津が初めて薩摩に着いた同時期に、古伊集院本宗家は滅んでいます。 ②の島津分家の戦国伊集院家は、 豊臣秀吉の家臣で、島津筆頭家老の伊集院忠棟が島津義弘の息子の島津忠恒に斬殺される。 徳川家康が二度調停した「庄内の乱」は、伊集院忠棟の息子の伊集院忠真の父親の仇討ちだった。 島津忠恒に戦国伊集院家は皆殺しにあっている。 ③現在の島津義弘血筋の伊集院家。 皮肉にも、戦国伊集院家を皆殺しにした鬼島津(島津義弘)の息子の島津忠恒の11男が、伊集院姓を名乗っています。 伊集院久国です。 現在の伊集院家は伊集院久国の伊集院家。 いわゆる、島津義弘の血筋という事になります。 そこで質問ですが、 西郷隆盛の妻の伊集院須賀夫人や、島津斉彬の側室の伊集院須磨、日露戦争で伊集院信管を発明し月月火水木金金の軍歌を作らせた、日露戦争勝利の影の勝因者の伊集院五郎元帥も、島津義弘の血筋、という事になるのでしょうか?? 尚、島津義弘の息子の島津忠恒は、徳川家康から「家」の文字を拝領されて、島津家久と改名。鹿児島城を築城。初代薩摩藩主となっています。 「真田、日の本一の兵」と言った島津忠恒(家久)です。 この島津忠恒は島津斉彬のご先祖ですよね?という事は島津斉彬も島津義弘の子孫という事でよろしいんでしょうか?? 紀貫之の血筋の古伊集院本宗家、 島津分家の戦国伊集院家、 島津義弘血筋の伊集院家、 島津義弘の子孫が島津斉彬?? この流れで(血筋、系列)で合ってますでしょうか?? この中の1つだけでも… 確か読んだような… 何かで読んだ様な…記憶にあった様…な情報でもありすでしょうか?(続きを読む)
初めての東京 駅について
今度東京に一人で行くのですが、初めてなのでわからないことがあります。 まず、新宿西口(小田急百貨店などがあるところ)から、新宿の新南口(高速バスターミナル))まで目指したいです。...(続きを読む)
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