2016/07/25
中居 飯島
痴漢事件を起こしたHey! Say! JUMP中島裕翔のドラマがお咎めなしでそのまま放送開始! マスコミはジャニーズに甘すぎだJUMPは、飯島(三智)マネージャーを追い出してジャニーズの全権を握りつつある藤島ジュリー景子副社長がいまイチオシのグループ。事務所は事件 ... 中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS)での懺悔インタビュー、復帰会見を経た現在も、本格復帰にはいたっていない。(続きを読む)
『FNSうたの夏まつり』での、Hey!Say!JUMPとKis-My-Ft2のワチャワチャに「こんな日が来るなんて……」
かねてJUMPとキスマイは“派閥”の関係で共演がかなわないとファンの間でウワサされていたが、今年1月のSMAP解散騒動で、キスマイらを束ねていたSMAPのチーフマネジャー飯島三智氏が退社。その後、藤ヶ谷太輔主演の映画『MARS~ただ、君を愛してる~』が公開され (続きを読む)
SMAPが夏特番を立て続けに辞退…メンバー亀裂は修復不能か
SMAPの中居正広(43)が司会をつとめる7月16日放送の音楽番組『音楽の日』(TBS系)に、SMAPが出演しないことが発表されてファンの間で落胆の声が広がっている。 同番組は2011年から始まったTBSの大型音楽特番で、今年は午後2時から12時間にわたり、同局の (続きを読む)
飯島マネ今月退職決定!でも恩知らずはメリー副社長のほうだ! SMAPだけでなくジャ...
飯島マネ今月退職決定!でも恩知らずはメリー副社長のほうだ! SMAPだけでなくジャニーズが今あるのも飯島のおかげ はっきり言っておくが、SMAPというグループがジャニーズ事務所から受けた恩義など、1ミリもない。そんな、当たり前のこともわかっていない頭の悪いスポーツ記者のために、改めて説明しよう。 SMAPが結成されたのは、1988年。もともと彼らをジャニーズ事務所に入れ、SMAPを組ませたのは社長のジャニー喜多川氏だが、扱いはひどいもので、ジャニー喜多川社長もメリー副社長からもほったらかし。しばらくたなざらしにされていた。 91年、ようやくCDデビューを果たすが、すでに光GENJIのブームは終焉。芸能界全体が"アイドル氷河期"に突入しており、歌番組も数を減らし、バーターでブッキングしてもらえるような先輩もいなかった。 まともな売り込み、プロモーションもしてもらえず、CDは鳴かず飛ばず。途中からは、ジャニーズ出版という別会社に所属を移され、マネージャーすらつけてもらえず、一時は解散寸前の状態に追い込まれていた。 恩義どころか、SMAPは"産み捨て"状態にあったのだが、そんなときSMAPの担当となったのが、今回の騒動の主人公である飯島氏だった。飯島氏はもともと事務職としてジャニーズ事務所に勤務していたのだが、SMAPの状況を見かねて「わたしにやらせてください」と直訴し、マネージャーに。そこから事務所のバックアップなしで、ひとりで売り込みに走り回り始めた。 足繁くテレビ局、雑誌編集部に通いつめ、自ら企画をたてて持ち込む。そして飯島氏は当時、アイドルが本格進出していなかったバラエティ番組に目をつけ、粘り腰で交渉した結果、ついに『夢がMORIMORI』のレギュラーを獲得。これがきっかけとなって、SMAPはブレイクへのきっかけをつかむのだ。 その後も飯島氏は新しいファンを獲得し、SMAP人気を拡大させるために、これまでのジャニーズアイドルにはありえなかったさまざまな新機軸を打ち出していく。 そのひとつがトレンディドラマへの出演だ。いまではアイドルがドラマで主演を張ることは何も珍しいことではないが、当時はトレンディ俳優全盛期で、アイドルドラマ枠でもないかぎり現役ジャニーズがトレンディ枠に入り込む余地などまったくなかった。しかし、飯島氏はこの状況に風穴を空ける。 93年、月9の『あすなろ白書』に木村が出演するのだが、このとき、飯島氏はジャニーズの掟というべきものを打ち破った。 というのも、このドラマでの木村の扱いは3番手だったからだ。それまでのジャニーズ事務所は「ウチの大事なタレントを2番手、3番手になどできない」と主演以外は突っぱねてきた。だが、飯島氏は木村の可能性に賭け、チャンスを捨てなかった。結果、木村は「俺じゃダメか」とヒロイン役の石田ひかりを後ろから抱きしめる告白シーンで人気が爆発、一気に注目のトレンディ俳優に仲間入りを果たしたのだ。 もうひとつ画期的だったのが、草彅剛の売り出しだ。飯島氏はずっと"SMAPのお荷物"扱いだった草彅を売り込み、97年、『いいひと。』に主演させたのだが、これもそれまでの"ジャニーズ=イケメン待遇"というルールをくつがえすものになった。以降、草彅は幅広い役に挑戦し、演技力の面で大きな評価を得ていった。 さらに、飯島氏は歌の分野でも先鞭をつけた。SMAPにとって大きな分岐点になったのは、93年に発表したシングル「$10」だ。ちょうど木村が前出の『あすなろ白書』に出演中に発売されたのだが、そんな重要な勝負曲に飯島氏が選んだのは、歌手・林田健司のアルバム曲。しかもそれまでSMAPが発表してきた王道アイドルソングを見事に覆すアダルトコンテンポラリーな曲で、歌詞の内容も"愛と金"というアイドルらしからぬものだった。しかし、これが大きく当たり、「大人がカラオケで歌える曲」という、これまでグループアイドルが乗り越えられなかった壁を越えたのだ。 バラエティとドラマ出演によって大衆性を担保しながら、一方で気鋭のアーティストや作家をぶつけ、おしゃれメディアも巻き込みながらエンタテインメントの枠を広げていく。飯島氏がジャニーズの鉄則に縛られることなく実践したこうした方法論によって、SMAPは老若男女から愛される国民的グループになっていったのだ。 しかも、飯島氏はプロデューサーとしてだけではく、スキャンダル対策にもその豪腕を発揮した。草彅や稲垣が不祥事を起こした際には、ジャニーズ本体には頼らず、自らマスコミを駆け回って自ら火消しに奔走。中居が一般の女性とトラブルになった際には、自らその女性と交渉し、説得もしている。 また、工藤静香が妊娠し、木村が結婚すると言い出したときは、「子供をおろせ!」と激怒するメリー喜多川副社長の盾になって、「木村の人気は結婚しても衰えることはありません」と説得。ゴールインにこぎつけさせた。 皆さんはどう思う?(続きを読む)
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