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危篤

漱石宛ての絵はがきなど312通 岩波書店所蔵、公開へ
門下生のドイツ文学者、小宮豊隆は漱石が静岡・修善寺で一時危篤になった後の10年9月21日「お粥を上がるやうになつたさうですね。早くなほつて早く何処か歩行きませう」と師を気遣う。児童文学者の鈴木三重吉も同年11月18日、東京の病院に入院する漱石に「先生」は作品 (続きを読む)


危篤の父について 昨日、もう3年ほど会っていない父が危篤と連絡がきました。 両親...
危篤の父について 昨日、もう3年ほど会っていない父が危篤と連絡がきました。 両親が離婚したため、現在私は母と二人暮らしなのです。 私は父がとても嫌いでした。 父は子供嫌いな事もあ り、私によく怒って殴っていた為、いい思い出も数えるほどしかありません。 10年ほど前に膠原病を患い、次第に会社を休むことが増えました。 そして会社も辞めてしまい病院にも通わなくなり、母がパートで生活費を稼ぐようになりました。 そんな時父は病院が嫌いという理由で病院にも行かず、一日中お酒と煙草を吸うようになりました。 そんな生活を続けていたせいか父は脳内出血で倒れてしまい、左半身が麻痺になりました。 それでも父はお酒をやめず、一日中お酒を飲んでいました。 次第に酔っ払っているのか、認知症なのか言ってる事がよくわからなくなり、トイレに行こうとすると転倒するしてしまい、重たくておこせくなり、救急車を呼んで検査をしても異常がない為家に帰ってきてまたお酒を飲むといった日々が続きました。 母は仕事と父の仕事で疲れてしまっていました。 そんな 父を見ていると憎くてしょうがなかったです。 病気になったことは仕方ないにしても家でできる仕事を探したり病院にいったり‥色々できたはずです。 なのに一日中お酒ばかり飲んで転倒して酔っ払って笑ってる父を見ると憎くてしょうがなかったです。 しかし昨日父に会いに行くと、まだ50代なのに施設に入っていました。 舌癌だそうです。 喉から酸素を入れていて胃瘻をしていました。 詳しい病状は聞けていません。 ただ話かけても目は開いているものの反応もなく、瞬きすらありません。 顔もむくんでいました。 そんな父の姿を見て私はもしかして間違っていたのかと思ってしまっています。 確かに父は病院に行かない、お酒に走るなど許せない部分はありましたが、もっと私が必死になってお酒を止めたり病院に行こうとするとこんなことにならなかったのでは?と思ってしまいます。 父が病気になった時、言い訳ですが、私は父が嫌いで思春期だったこともありおそらく優しい言葉なんてかけていません。 話したくないと思っていたので、嫌いオーラも出していたと思います。 病気になった時に私がもっと優しくしていれば父がお酒に走る事もなく、脳内出血で倒れることもなかったのではないか?と考えてしまいます。 父はいい父親ではなかったですが、私もいい娘ではありませんでした。 私は父にもし謝られても許しませんが、私も謝っても許してもらえないと思います。 ただもう一度だけちゃんと会話したいとも思います。 その一方で好き勝手お酒を飲んで、こんな苦しそうな状況息をしている父をズルいと感じ、腹も立ちます。 母は今後私がいきたければ父に会いに行けばいいが私はいかないと言っています。 私はどうすればいいかわかりません。 今までの自分の態度を後悔をしてももう遅いです。 ただ父に会いに行くと母を裏切るような気分にもなります。 父の事は今でも憎いです。 ただ昨日の姿を見て今までの自分の態度に後悔してしまい、見てるのが辛いです。 会いに行っても行かなくてもへんな気分になりそうです。(続きを読む)




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